観るならひとりよりもふたり。
できるだけおおくのひとと。
この一心で、ガザのことを知る時間を共有してくれる人を必死に探した。
そこには、私がやりたいようにカタチにしてもらい、想像を遥かに超える人の支えがあり実施できた上映会であったこと。感謝の言葉に尽きる。
上映会当日。
まずは会場のスピニングミル。雰囲気があまりにも魅力的で、映画鑑賞を助長する力があった。雰囲気というのはとても大事であると実感した。
次に、映画。やはり映画の持つ力は大きい。ガザと私の暮らしが、同じときを地球で暮らす人間としてこうも尊厳が違っていいものかと信じたくない現状に愕然とする。それを想像するための説得力は日々のニュースよりも絶大だったし、そのために集中して時間を費やすことで、理解は深まりやすいと実感した。
そして、ガザの現状の説明をエルサレムの友人からオンタイムで繋ぎ、共有した。映画から時系列を追って、現在のガザをリアルタイムで発信してもらったことは、現実に起きているということだと突き付けられた。最悪の状況は更新され続けている。
参加者のみなさまも、静かに集中してこの時間を過ごされ、それぞれの思いを持って帰っていただけたのではないかと信じている。参加者の年代も幅広く、上映会で知ったことからのアクションを期待してしまう。
会場、映画、エルサレムからの現状発信。
それぞれの力が相乗効果と圧倒的な説得力をもたらし、現時点のガザへの関心を深め、信じたくない事実を信じざるを得ない現実を突きつけられた。
できることなら考えたくないし、考えなくても自分の暮らしに直接的な影響はないにも関わらず、だ。
でも思う。
ゴミが落ちていたら、拾う。
重い荷物を持って階段を歩く人や、目の前で人が転んで立てないでいたら、声をかける。
私には勇気のいることだ。ときに行動をためらうことさえある。ただ、目の前であるとやれんではおれない。
この感覚と同じようにガザの人々に心を寄せたい。寄せずにはおれない。
その状況を自分からつくらなければ、私はきっと忘れていく。
『パレスチナを忘れないで。』
この言葉が脳裏をたびたびよぎる。
私の仕事場の目の前にはカレンダーがある。
自転車で世界を旅した西野旅峰氏が旅先で出会った13枚の写真のカレンダー。
その11月は彼がパレスチナの難民キャンプでお世話になった夫妻の1枚だった。
その夫婦の彼との別れ際の言葉が、これだったと彼は書いている。
私たち家族を忘れないで、ではなくパレスチナ。
自然と自分だけでなく何かを思いやれる強さは、厳しい環境で生きる人たちの魅力だと思う。相反して、そう言わざるを得ない環境で暮らしているとも言えるのではないか。
絶対に途絶えさせてはならない。
映画を見始めてしばらくの間は、綺麗な町並みやビーチ、子どもたちの弾ける笑顔、タクシーのドライバーが仕事前に海を見ながらカフェラテを飲むシーンなどが続き、ガザの日常を生きる人って、私たちと同じだな、と感じました。
でも、それから、ガザを取り巻く惨状や若者の姿、よくみたらガリガリに痩せた子どもたち、難民キャンプを襲う襲撃に、ガザの日常が「異常」であることに気づきました。
この時期にこの映画を見ることができてよかったです。
自分にできることがないか、考えてアクションしたいです。