<第90回アカデミー賞ノミネート作品>長編ドキュメンタリー部門 ほか世界中の映画祭で合計23賞受賞!
UNHCR難民映画祭2018 満足度No.1映画!
シリア、瓦礫と化す街で一人でも多くの命を救うため、決死の救助活動を行うホワイト・ヘルメット(民間防衛隊)に迫る衝撃のドキュメンタリー。
「空爆」という漂白された言葉の向こうに広がる、あまりにも過酷、だが同時に、あまりにも人間的な真実。この映画を観るまで、僕はその想像力をまったく欠いていた。
ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ)
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(c)Larm Film
About the film
そこに救える命がある限り――
瓦礫と化す街で一人でも多くの命を救うため、決死の救助活動を行うホワイト・ヘルメット(民間防衛隊)に迫る衝撃のドキュメンタリー。
More info
5年以上も内戦が続くシリアの都市アレッポは崩壊の危機に瀕している。取り残された市民35万人は築かれつつある包囲網に逃げ場を失い、間近に迫る死に恐怖を懐きながらも何とか命をつないでいる。前触れなく轟音と共に飛来するジェット戦闘機は、わずかな希望すら打ち砕くごとく昼夜問わず爆撃を続け、市民もろとも市街地を瓦礫へと変えていく。ここでは生よりも先に死が存在する。爆撃に次ぐ爆撃で、次から次へと命が失われていく極限の世界で、悲劇が延々と続いていく。
現場には自らの命を顧みず、生き埋めとなった生存者を救おうと駆けつける男たち「ホワイト・ヘルメット」の姿がある。家族と逃げ、異国で難民として生き延びるべきか、それとも仲間や家族のいる故郷に留まり、変わり果てたが心安らぐ場所で死を迎えるべきか。「ホワイト・ヘルメット」のメンバーの一人、ハレドは葛藤を抱えながらも救助活動を続けていく。絶望の淵で彼らが見せる勇敢さ、そして眼の前で進行する信じがたい不条理な紛争の現実に、私たちは何を見出すことができるのだろうか。
Data
原題 | LAST MEN IN ALEPPO | 製作年 | 2017年 |
---|---|---|---|
製作国 | デンマーク・シリア | 制作 | アレッポ・メディア・センター、ラーム・フィルム |
配給 | ユナイテッドピープル | 時間 | 104分 |
Cast & Staff
監督 | フェラス・ファヤード | 製作総指揮 | |
---|---|---|---|
プロデューサー | ソーレン・スティーン・イェスパーソン、カリーム・アビード、ステファン・クロース | 原作 | |
脚本 | 音楽 | カルステン・フンダル | |
撮影 | アレッポ・メディア・センター、ラーム・フィルム | 編集 | スティン・ヨハネセン、マイケル・バウアー |
キャスト |
Review(3)
19/04/14 20:14
19/05/11 11:34
爆音や戦闘機などの音もあるのですが、そういうものからくるのではない静かな衝撃がありました。
作中の「アサドのせいで俺たちは空を見上げるようになった」というセリフが1番印象に残っています。私たちが空を見上げる時なんて、天気を気にする時か清々しい気分である時で、しかも飛行機を命の危険をもたらすものとして捉えたこともない。なんというか決定的な違いを感じました。
23/10/17 15:49
袋小路に追い込まれたような気持ちがする映画だった。
もし自分がここに居たなら、精神が崩壊するんじゃないかと思った。
しかし、その中で、異常な日常をひたむきに生きる人の姿に感銘を受けた。
この映画を上映会で流す上で、シリアの歴史的背景について調べて、また絶望的な気持ちになった。
これだけ複雑に入り組んだ多国の関係と多数の組織。血で血を洗う抗争により恨みの連鎖が複雑に絡み合う。
私には答えが見つからないけど、でも見るべき映画だと思った。
上映会主催者の声
同じ地球で起こっている紛争の事実。不条理、理不尽な状況を直視するのはしんどいけれど、一方で、家族や仲間、人を想うあたたかさ、勇敢な姿に心が惹きつけられる、そんな作品でした。
自分が住んでいる場所や国とは別のところで起こっている事実を知ること。そのことについて考える時間を大切に思う、意味のある必要な時間だったと思います。
8月27日(金)、28日(土)の2日間に渡り、アレッポの石鹸の共同代表太田さんをお迎えし、
マアルシネマ特別版 「アレッポ 最後の男たち 上映会とお話会」を開きました。
戦争のドキュメンタリー映画を観るのは、私はとても勇気が要りました。
フィクションではなく、ドキュメンタリー。だからです。
実際に足を運び、今もアレッポの石鹸を輸入することで関わり続けている太田さんにお話を聞くことが、今回、何より意味があることだと企画しました。
何に関しても、情報が溢れる世の中で
「誰を通じて知るか、聞くか」。
そこから自分で考えて調べていくことがとても大切じゃないかと思っているからです。
---
参加された方々から、
「ここに来ることがなかったら全く知らなかった、思いもよらなかった」
「まずは知ることがこんなにも大事だとは」
いろんなご感想をいただきました。
初日の部では質問も相次ぎ、
翌日はいろんなご感想を共有させてもらいました。
長い歴史と複雑な背景が混み合って、すぐには理解できないのですが、
今まで以上に関心を持ったこと、
そして、この海を渡って届いたアレッポの石鹸に、とてつもない愛着を感じています。
---
私個人の感想ですが、海外の戦争や、人種差別や、あらゆることを思うとき、私がこの時代、この国に、この状態で生まれてきたのは「たまたま」であって、同じように「たまたま」別の国に生まれて来た人が、明日の命や明日の糧の心配をして生きているというのは、あまりに不公平じゃないかと思うのです。うーん、うまく書けないけど。
日本にだって、私たちの周りにだって問題や課題や山積みで、余裕だってないけれど、じゃあ関係ない、で済ますのか?知ることから始まることだってきっとあるはず。
マアルシネマ特別版 「アレッポ 最後の男たち 上映会とお話会」を開きました。
戦争のドキュメンタリー映画を観るのは、私はとても勇気が要りました。
フィクションではなく、ドキュメンタリー。だからです。
実際に足を運び、今もアレッポの石鹸を輸入することで関わり続けている太田さんにお話を聞くことが、今回、何より意味があることだと企画しました。
何に関しても、情報が溢れる世の中で
「誰を通じて知るか、聞くか」。
そこから自分で考えて調べていくことがとても大切じゃないかと思っているからです。
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参加された方々から、
「ここに来ることがなかったら全く知らなかった、思いもよらなかった」
「まずは知ることがこんなにも大事だとは」
いろんなご感想をいただきました。
初日の部では質問も相次ぎ、
翌日はいろんなご感想を共有させてもらいました。
長い歴史と複雑な背景が混み合って、すぐには理解できないのですが、
今まで以上に関心を持ったこと、
そして、この海を渡って届いたアレッポの石鹸に、とてつもない愛着を感じています。
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私個人の感想ですが、海外の戦争や、人種差別や、あらゆることを思うとき、私がこの時代、この国に、この状態で生まれてきたのは「たまたま」であって、同じように「たまたま」別の国に生まれて来た人が、明日の命や明日の糧の心配をして生きているというのは、あまりに不公平じゃないかと思うのです。うーん、うまく書けないけど。
日本にだって、私たちの周りにだって問題や課題や山積みで、余裕だってないけれど、じゃあ関係ない、で済ますのか?知ることから始まることだってきっとあるはず。
それによって不利益を受けることがあってはいけない。
誰も取り残されない社会の実現へ。
SDGsの掲げる理念ですが、それが完全に裏切られる現実。
それがこの映画の中にあります。
作品中に登場する人物は私たちと何も変わることがありません。
休み時間にサッカーに興じて笑い声をあげる男たち。
お土産にアメを買ってきてと父親にねだる子どもたち。
違うのは頭上に広がる空の持つ意味。
私たちが空を見上げる時、大自然の営みと開放感を感じることがほとんどです。
しかし、彼らが空を見上げるのは、降り注ぐ恐怖への警戒から。
出口の見えない悲劇の連続に思わず目をそらすシーンもありました。
そしてこれは現在進行形で今も起きている現実なのです。
絶望的な状況の中で、彼らは魚を飼い、木を植えます。
この魚たちが増えたらいいな。
私たちには間に合わなくても子どもたちの時代には食べられるだろう。
希望の光もない中でも彼らの目には未来が映っていました。
そのたくましさに強く感動しました。
しかし、その未来は本当にあるのでしょうか。
ハレドの子供との会話や向ける眼差しは、どこにでもある平和な風景であるが、そこは空爆が行われている最中の瓦礫と化した町であった。文字通り常に死が隣り合わせの中で、瓦礫に埋もれた生存者を救出しながら、自分の家族の命の安全について同様に考える。残るか、この地を離れるか。離れたところで安全は保障されていない。生きることが命がけになることにはかわりはない。しかし、家族を守りたい。苦悩、葛藤、救助、死体と向き合い、死者の数を報告する。ある日、彼らが公園の遊具で楽しむも束の間、戦闘機の飛来で避難する。標的とされないために集団で一箇所にいてはならない。そう、もはや戦闘機は、人を殺すことだけが目的で、戦闘員であるか、非戦闘員であるかは関係ないのだ。そのような戦時に彼らの日常があり、家族と過ごしている生活がある。子供や家族、兄弟を思う気持ち、同僚と冗談を言い合う普通の場がある。希望や未来はどこにあるのだろうか。果たしてそれを日常と言ってよいのだろうか。
何度も空爆を繰返し、ボタンひとつで爆弾を落とす行為に、「人殺し」という重みを麻痺させていると怖く感じた。どのようにこの行為を肯定することができるのだろうか。正義は勝者にあるのだろうか。これが同じ地球上で、同じ人間という生物がおこしているのである。映画は説明が多くないだけに、当事者達の会話から直面している悲しみや苦しみが、そのまま心に突き刺ささる。トークショーにおいて、安田純平氏の「無関心、無責任」という言葉が重かった。何が正しく、何を問題にすべきかを自分の頭で考えることだけが、過ちを踏みとどまらせてくれるブレーキとなるのだと感じた。