
あまりにも圧倒的な力の差、これまで長く続いているパレスチナ自治区、パレスチナ人への強い抑圧、人権侵害、ここを通らずして10月7日は語れない。
個人では自作ステッカー「フリーパレスチナ」を車に貼って走っていたが、ほかにも何かできないかと
思っていた矢先に、映画上映をしようと思い立ったのだった。
緊急上映まであまり時間もないなか、仲間たちが集まってくれてハチドリ企画を立ち上げ、連携プレーで上映までこぎ着けることができたが、人々の関心も強かった。
今回強く思っていたことは、「いかに上映料金を払える人数を集められるか」ではなく、例え来場に結び付かなくても、チラシやSNSで勧誘する時、相手とパレスチナガザのことを話題に出す、そして少しでも人々の脳裏をパレスチナガザがよぎることを目的に上映会のお誘いをした。
つまり、上映会において、映画を観ることが第一目標ではなく、上映会の外で少しでもパレスチナガザの存在を人々の脳裏に植え付けることが第一目標だったと言っても過言ではない。
当日は託児も設けて活用してもらったが、私の年長の子どもを含め高校生までの若い人々も多くおり(21名。高校生以下無料、報告した上記の参加人数には含まれず)、親御さんには是非映画の途中でも子どもたちに字幕や映画の内容の説明もしてくださいとお伝えし、周りの方の理解を求めた。子どもに今の世界を美しさだけでなく、どう伝えていけるかは大切な親の仕事だと感じる。
エルサレムで国際ボランティア団体(日本国際ボランティアセンター)に所属する日本人の友人にも現地からZoom対談で報告してもらい映画と二本立てで、上映をしたが、映画とともに彼女の言葉は多くの人々の心をざわめかせた。
(といっても、ガザで起こっている阿鼻叫喚の地獄絵図を話してもらったわけではないのだが)
苦しくなったとも思う。
(私たちに突きつけられるものが多くあったからだ)
でも、私は自分にも言い聞かせるつもりで、敢えて言わせてもらった。
「今日のこのざわめきを日常に持ち帰ってざわめき続けていきましょう」と。
ざわめき始めたら、アクションを起こさずにはおれなくなる。
だから、この上映会は終ったが、私たちの小さなアクションは始まったばかりだと強く思う。
完全なる即時停戦を心から願う。
映画を見始めてしばらくの間は、綺麗な町並みやビーチ、子どもたちの弾ける笑顔、タクシーのドライバーが仕事前に海を見ながらカフェラテを飲むシーンなどが続き、ガザの日常を生きる人って、私たちと同じだな、と感じました。
でも、それから、ガザを取り巻く惨状や若者の姿、よくみたらガリガリに痩せた子どもたち、難民キャンプを襲う襲撃に、ガザの日常が「異常」であることに気づきました。
この時期にこの映画を見ることができてよかったです。
自分にできることがないか、考えてアクションしたいです。