母に会うために、僕たちはずっと歩き続けた。
シリア紛争で離れ離れになった一家。
先に逃れた母と再会するため、いくつもの国境や困難を乗り越えていく難民の父子たちの旅路を追ったドキュメンタリー。
News
- 2021/05/11
- 6月20日 世界難民の日 特別企画『レフュジー 家族の絆』オンライン上映&トークイベント
- 2021/05/10
- 映画『レフュジー 家族の絆』新規追加!7月以後に上映会開催が可能に。
©REFUGEE DOC LTD.
About the film
2011年から続くシリア紛争は数百万人もの難民を生み出していた。2015年、紛争が悪化するなか、シリアで暮らすアラリ一家はヨーロッパへの亡命を計画していた。まず、母のラフアーがシリアを脱出し、あとから父ナゼムと二人の息子をドイツに呼び寄せる計画だった。母は無事ドイツに到着。しかし、父子がギリシャに到着した頃には国境は封鎖されていた。身動きが取れなくなった一家は果たしてドイツで到着を待つ母と再会できるのだろうか?『レフュジー 家族の絆』は、子どもたちの未来のために安住の地を求めて旅したあるシリア難民家族に密着したドキュメンタリー映画である。
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2011年から続くシリア紛争は数百万人もの難民を生み出していた。2015年、ヨーロッパに押し寄せた難民の数は第二次世界大戦以降最大となり、その受け入れを巡る各国の葛藤は“ヨーロッパ難民危機”といわれた。『レフュジー 家族の絆』は、子どもたちの未来のために安住の地を求めて旅したあるシリア難民家族に密着したドキュメンタリー映画である。
シリア内戦が悪化し、故郷にISISの攻撃が迫っていた2015年、シリア人の母、ラフアーは究極の決断を迫られていた。子どもたちをなんとかヨーロッパに逃したいが、夫のナゼムは病気で、工面できる旅費は一人分だった。そこで、まずは母だけでシリアを脱出し、あとから夫と二人の息子、アハメドとハムディをドイツに呼び寄せることにした。しかしナゼムと子どもたちがギリシャに到着した頃には、ギリシャ・マケドニア国境が封鎖。ラフアーは、自分以上の苦難の旅を子どもたちがしなければならないと思うと、気が気でなかった。実際、2千km離れたヨーロッパで最も劣悪な収容所の一つにいるナゼムと子どもたちは、悪夢のような日々を過ごしていた。身動きが取れなくなった一家は果たしてドイツで到着を待つ母と再会できるのだろうか?
Data
原題 | Refugee | 製作年 | 2018年 |
---|---|---|---|
製作国 | イギリス | 制作 | エンヴォイ・エンターテインメント、アマロック・ピクチャーズ、フー・ワークス |
配給 | ユナイテッドピープル | 時間 | 87分 |
Cast & Staff
監督 | アレクサンダー・J・ファレル | 製作総指揮 | サン・フ・マルタ, カート・エングフェール, ローレン・シーリッグ |
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プロデューサー | フランチェスコ・ロスキアヴォ | 原作 | |
脚本 | 音楽 | ガイ・ダグル、ニコレット・ストリート | |
撮影 | 編集 | ジョルジオ・ガリ | |
キャスト |
Review(1)
21/06/29 10:01
上映会主催者の声
通常は平日夜の開催ですが、会場がオフィスビルのため、リスク軽減のために人が少ない土曜昼にしたところ、まるで集客できませんでした。
それでも、みんなでスクリーンを囲んで時間を共有し、上映後に感想を共有できることは、オンラインでは得られない良さを思い起こさせました。しばらくは、小規模でも週末のリアル開催を続けてみます。
衝撃を感じたや度々目が潤んだやラストで少し救われた気がしたなどの感想でした。
今だから興味を持ってくださるテーマだったので、この映画を選んだと思いますが、こういう現実は常に地球のどこかで起こっているということを、人として生きていく知識の中で知っておく必要があるのではないでしょうか。
経済的理由でまず母1人で国外に脱出。
父子3人もすぐに国外に出て母と再会できるはずだった。
わずか1ヶ月遅れただけで、国境は封鎖され、難民を取り巻く環境は一変。
父子が母親と再会できたのは1年以上後のことでした。
映画の中で男の子が、なぜ争いがなくならないのかを問う姿に胸が締め付けられます。
ちょうど前回のウナギネマで観た『シャドーディール』が思い出されて怒りがこみ上げます。
大きな利益を上げるために世界中から争いがなくならないようにする人がいるのです。
ドイツが積極的に難民を受け入れていることが作中にも描かれています。
ただし、それも一枚岩ではなく、難民受け入れに強く反対する人もいます。
その気持ちもわかるように思います。
自分の仕事が奪われるかもしれない不安
異文化に対する警戒心
コミュニティに言葉の通じない人がいることにも不都合が生じるでしょう。
反対する人の心が狭いとは言えません。
問題は難民を身近に感じられていないことなのかもしれません。
一般論としては理解できても、自分にその火の粉がふりかかれば話は変わるわけです。
根底には相手に対する不理解があるのではないでしょうか。
知らないから、all or nothingで判断するしかない。
難民問題は、まず相手のことを知ることが何よりも大切だと感じました。
難民による暴力などの不都合ばかりが報道される現実にも問題があります。
難民の窮状が広く伝わっていないことへのメディアの責任は大きいと思います。
しかし公正中立に報道することはもしかしたら限りなく難しいのかもしれません。
さまざまな国で極右政党が躍進をしています。
排他的な姿勢で強い国を訴える姿勢には、以前の悲しい歴史が重なって見えてしまいます。
どうして助け合うという発想が持てないのでしょうか。
自分ひとりでは何もできません。
自分とは違ういろいろな人がいるからこそ社会は回るのです。
そこに私たちが気づいて行動できれば、現状は変えられるかもしれません。
四角大輔
執筆家・森の生活者